個人事業の資産・契約を法人へ引き継ぐ
- 個人事業主と法人は法律上まったくの別人格であるため、個人名義の預金・不動産・車両・契約は、法人成りしても自動的には法人のものにならない
- 資産を法人へ移す方法は主に「売買」「現物出資」「賃貸借」の3つ
- 現物出資は発起人に限られ(会社法第34条第1項)、現物出資財産の価額の総額が500万円を超える場合は原則として検査役の調査が必要になる(会社法第33条第1項・第10項第1号)
- 個人から法人へ資産を著しく低い対価(時価のおおむね2分の1未満、所得税法施行令第169条)で譲渡すると、時価で譲渡したものとみなして譲渡所得を計算する「みなし譲渡」の対象になりうる(所得税法第59条第1項第2号)
- 法人側も、時価より低い対価で資産を取得すると、その差額を受贈益として益金に算入する必要がある(法人税法第22条第2項)
- 不動産を法人名義にするには所有権移転登記が必要で、登録免許税(登録免許税法別表第一 一(二)ハ)と不動産取得税(地方税法第73条の2第1項)がかかる
- 賃貸借契約は賃借人の変更にあたるため、賃貸人の承諾がなければ契約上の地位を移せない(民法第612条第1項)。無断で譲渡・転貸すると契約解除の対象になりうる(同条第2項)
- 買掛金などの債務を法人に移すには、債務者と引受人の契約に加えて債権者の承諾が必要になる(民法第472条第3項、免責的債務引受)
- 従業員との雇用契約も個人事業主とのものであり、法人成りにあたっては雇用契約を結び直し、社会保険・雇用保険の適用事業所としての手続きを新たに行う必要がある
この記事の内容
この記事は、個人事業から法人を作ろうとしていて、今使っている預金・設備・契約・従業員をどう法人に移せばいいのか分からない人に向けて書いています。 結論から言うと、個人事業と法人は法律上まったくの別人格なので、何もしなければ何一つ自動的には引き継がれません。 引き継ぐ資産や契約ごとに、売買・現物出資・名義変更・再契約といった個別の手続きを踏む必要があります。この記事では、代表的な引き継ぎ方法とそれぞれの注意点を条文に沿って整理します。
- 法人成りすれば、事業で使っている預金や設備はそのまま法人のものになると思っていた
- 取引先との契約や店舗の賃貸借契約を、法人名義にどう切り替えればいいか分からない
- 従業員を雇っているが、法人になったら雇用契約はどうなるのか不安
結論:個人と法人は別人格。何もしなければ引き継がれない
個人事業主である「あなた」と、これから作る「株式会社(または合同会社)」は、たとえ社長が同一人物であっても、法律上は別々の権利義務の主体です。そのため、法人成りの手続き(定款作成・設立登記)を終えただけでは、個人名義の預金口座も、事業用の不動産や車両も、取引先との契約も、雇用している従業員との契約も、自動的には法人のものになりません。
引き継ぐ対象は、大きく分けると次の4種類です。
- 資産(預金・在庫・設備・不動産・車両など)
- 契約上の地位(店舗の賃貸借契約・リース契約・取引先との継続契約)
- 債権・債務(売掛金・買掛金)
- 雇用契約(従業員との労働契約)
それぞれ移し方が違うため、次の見出しから1つずつ確認していきます。
資産の引き継ぎ方法は3つ|売買・現物出資・賃貸借
個人事業主の資産を法人に移す方法は、主に次の3パターンです。
| 方法 | 内容 | 向いているケース |
|---|---|---|
| 売買 | 法人が個人から資産を時価で買い取る | 現金の余裕があり、シンプルに済ませたい場合 |
| 現物出資 | 資産そのものを資本金として法人に出資する | 現金を用意せず資産を資本金に組み込みたい場合 |
| 賃貸借 | 個人所有のまま、法人が個人から借りて使う | 不動産など名義変更コストが大きい資産 |
現物出資は、法人を設立する発起人だけができる方法です(会社法第34条第1項)。すでに法人ができた後で個人の資産を追加出資する場合は、原則として株主総会の決議を経た募集株式の発行(第三者割当)という別の手続きになります。設立と同時に資産を移したい場合は、発起人である個人が現物出資者になるのが実務上シンプルです。
売買で引き継ぐときの注意|安く売ると「みなし譲渡」になる
法人が個人から資産を買い取る方法は、手続きとしては最も分かりやすいものです。ただし、「身内の会社だから」と時価よりかなり安い金額で売買すると、税務上の問題が生じます。
個人が法人に対して著しく低い対価で資産を譲渡した場合、所得税の計算上は、実際の売買価格ではなく時価で譲渡したものとみなして譲渡所得を計算します(所得税法第59条第1項第2号)。ここでいう「著しく低い対価」は、時価のおおむね2分の1未満の対価を指すとされています(所得税法施行令第169条)。
さらに、買う側の法人にとっても、時価より低い金額で資産を取得すると、時価との差額を「受贈益」として益金に算入する必要があります(法人税法第22条第2項)。つまり、安く売ったつもりが、売った個人には時価ベースの譲渡所得課税、買った法人には受贈益への課税という、両方に想定外の税負担が生じることがあります。
「いくらで売買すればいいか分からない」という場合、金額の妥当性を自己判断せず、税理士に時価の考え方を確認してから契約書を作ることをおすすめします。この記事では制度の存在だけを説明しており、個別の時価の算定は行っていません。
現物出資で引き継ぐときの注意|500万円を超えると検査役の調査が要る
現物出資で資産を法人に移す場合、その財産の価値を過大に見積もって資本金を水増しすることを防ぐため、原則として裁判所が選任する検査役による調査が必要です(会社法第33条第1項)。
ただし、次のいずれかに該当する場合は、この検査役の調査を省略できます(会社法第33条第10項)。
- 現物出資財産の価額の総額が500万円を超えない場合(同項第1号)
- 市場価格のある有価証券について、その市場価格を超えない価額を定めた場合(同項第2号)
- 定款に記載された価額が相当であることについて、弁護士・公認会計士・税理士等の証明を受けた場合(同項第3号)
個人事業から法人成りする際に現物出資に含めるのは、パソコンや什器備品、在庫商品など少額資産が中心になるため、合計額が500万円を超えなければ検査役の調査は不要です(500万円という金額自体は検査役調査の要否を分けるラインであり、法人成り時の現物出資額がどのくらいの水準に分布しているかという公的統計は見当たらない。2026年9月確認)。逆に、不動産のような高額資産を現物出資に含める場合は、500万円を超えないか、超えるなら専門家の証明を受けられるかを事前に確認しておく必要があります。
不動産・車両は名義変更が必要|登記と税金がかかる
事業用の不動産や車両を法人名義にする場合、売買であれ現物出資であれ、所有権の移転を示す登記・登録の手続きが必要です。名義変更をしないまま法人の事業で使い続けても、法律上の所有者は個人のままです。
不動産の場合、法務局での所有権移転登記に登録免許税がかかります。売買を原因とする所有権移転登記は「その他の原因による移転の登記」にあたり、税率は不動産の価額に対して原則1000分の20(2%)です(登録免許税法別表第一 一(二)ハ)。加えて、不動産を取得した法人には不動産取得税が課されます(地方税法第73条の2第1項)。税率や軽減措置は不動産の種類・時期によって変わるため、正確な負担額は法務局・都道府県税事務所、または税理士に確認してください。
車両については、新所有者が所有者変更の事由があった日から15日以内に、道路運送車両法に基づく移転登録の申請をしなければなりません(道路運送車両法第13条第1項)。名義変更を怠ると、自動車税の納税義務者が実際の使用者と食い違ったり、事故時の責任の所在があいまいになったりする実務上のリスクがあります。
不動産の名義変更は登録免許税・不動産取得税の負担が大きくなりやすいポイントです。「移す」のではなく「個人所有のまま法人に貸す」賃貸借契約に切り替えるという選択肢も、次の見出しの内容とあわせて検討する価値があります。
賃貸借契約は大家の承諾がないと引き継げない
店舗やオフィスを借りている場合、その賃貸借契約は個人事業主であるあなたと大家(貸主)との契約です。法人成りしても、この契約が自動的に法人名義に切り替わることはありません。
賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、その賃借権を譲り渡し、または賃借物を転貸することができません(民法第612条第1項)。大家の承諾なしに、勝手に「今日から法人が借主です」と扱うことはできないということです。無断で賃借権を譲渡・転貸した場合、賃貸人は契約を解除できます(同条第2項)。
実務では、大家に事情を説明し、次のいずれかの形で対応することになります。
- 個人事業主との賃貸借契約を解約し、法人名義で新規に契約を結び直す
- 大家の承諾を得たうえで、契約上の地位を個人から法人へ譲渡する
- 個人が契約を維持したまま、法人が個人から転貸を受ける(大家の承諾が必要)
リース契約(コピー機・POSレジなど)についても考え方は同じで、リース会社の承諾なしに契約者を法人に変更することはできません。契約書に記載されたリース会社の窓口に、法人成りの予定を早めに相談しておくと手続きがスムーズです。
売掛金・買掛金は債権者の承諾がないと移せない
個人事業主として取引先に対して持っている売掛金(受け取る権利)や買掛金(支払う義務)も、法人成りで自動的に法人のものにはなりません。
売掛金(債権)は、原則として個人から法人へ譲渡することができますが、実務上は取引先に債権者が変わったことを通知し、以後の入金先を法人口座に変更してもらう必要があります。
一方、買掛金のような債務を法人に移す場合は注意が必要です。債務者(個人)を法人に交代させる「免責的債務引受」は、債務者と引受人(法人)が契約したうえで、債権者(取引先)がその引受人に対して承諾をすることによって成立します(民法第472条第3項)。つまり、取引先の承諾がなければ、個人事業主としての支払義務を法人に肩代わりさせることはできません。
従業員との雇用契約も結び直しが必要
従業員を雇っている場合、その雇用契約も個人事業主であるあなたと従業員との契約です。法人成りにあたっては、従業員との間で改めて雇用契約を結び直すのが一般的な実務です(個人事業主を退職し、同日または翌日から法人に入社する形をとることが多くなっています)。
あわせて、社会保険(健康保険・厚生年金保険)や雇用保険についても、個人事業主の適用事業所とは別に、法人としての新規適用事業所の手続きが必要になります。従業員がいる場合は、法人成りの日程に合わせて、年金事務所・ハローワークへの届出のスケジュールを事前に確認しておいてください。
許認可(飲食店営業許可や建設業許可など)についても、原則として個人事業主が受けていた許可がそのまま法人に引き継がれることはなく、法人として許可を取り直す必要がある業種が多くあります。自分の事業がどの許認可に該当するかは、個別の業法(食品衛生法など)の許可要件を管轄の窓口で確認してください。
実体験について、正直に書きます
正直に書きます。私自身は2026年に前職を退職し、法人設立の準備を進めている当事者ですが、退職前に個人事業主として開業していたわけではなく、この記事が扱う「個人事業から法人への資産引き継ぎ」を実際に自分で経験したわけではありません。この記事は、将来自分が個人で事業を始めてから法人成りする可能性も見据えて、会社法・所得税法・民法の条文を自分で調べて整理したものです。実際に個人事業を経て法人成りする段階になったら、一次情報として体験を追記する予定です。
次にやること
まず、法人に移したい資産・契約・従業員を一覧にして、それぞれをどの方法で引き継ぐか(売買・現物出資・賃貸借・再契約)を1つずつ決めてください。 不動産のように名義変更コストが大きい資産は、無理に移さず賃貸借に切り替える選択肢も検討します。契約先(大家・リース会社・取引先)には、承諾が必要になる前提で早めに相談し、売買・現物出資で移す資産については、時価との差が大きくならないよう税理士に確認してから金額を決めてください。
※本記事は2026年9月6日時点で調査した会社法・所得税法・法人税法・民法・登録免許税法・地方税法・道路運送車両法の条文と、筆者個人の状況に基づくものです。個別の資産評価・税額・許認可の要否は事業の内容によって異なるため、実際の手続きに際しては税理士・司法書士にご確認ください。
出典 - 会社法第33条第1項・第10項第1号〜第3号(現物出資財産の調査、検査役の調査を要しない場合) - 会社法第34条第1項(現物出資は発起人に限る) - 所得税法第59条第1項第2号(著しく低い価額の対価による譲渡のみなし譲渡)、所得税法施行令第169条(著しく低い価額の対価の基準) - 法人税法第22条第2項(無償又は低額による資産の譲受けに係る収益の益金算入) - 民法第612条第1項・第2項(賃借権の譲渡及び転貸の制限、無断譲渡・転貸による解除) - 民法第472条第3項(併存的債務引受・免責的債務引受、免責的債務引受における債権者の承諾) - 登録免許税法別表第一 一(二)ハ(その他の原因による所有権の移転の登記の税率) - 地方税法第73条の2第1項(不動産取得税の課税) - 道路運送車両法第13条第1項(移転登録)