役員報酬を無報酬にできるか
- 取締役の報酬は定款または株主総会の決議で定めるとされ(会社法361条1項)、無報酬とする決議も可能
- 厚生年金保険・健康保険は「適用事業所に使用される者」が被保険者となる制度で(厚生年金保険法9条・健康保険法3条)、労務の対価としての報酬が皆無だと使用関係が認められず被保険者資格を取得できないとされる
- 無報酬で健康保険・厚生年金に入れない場合、国民健康保険法5条・国民年金法7条に基づき国民健康保険と国民年金第1号被保険者に加入することになる
- 配偶者の被扶養者になれるかは年間収入130万円未満などの基準で判断されるが、代表取締役や常勤役員は無報酬でも常勤性・経営参画の度合いを理由に認定されない運用があるとされる
この記事の内容
この記事は、会社を設立したばかりで当面の売上が見込めず、「役員報酬をゼロにして資金繰りを楽にしたい」と考えている一人社長に向けて書いています。 結論から言うと、役員報酬を無報酬にすること自体は会社法上できます。 ただし、報酬がゼロになると、代表者自身が会社の健康保険・厚生年金に加入できなくなり、国民健康保険・国民年金への切り替えや、配偶者の扶養に入れるかどうかの検討が必要になります。この記事では、無報酬決議の可否、社会保険に入れなくなる理由、代わりにどうするかを整理します。
- 資金繰りのために役員報酬をゼロにしたいが、そんなことをして問題ないのか分からない
- 無報酬にすると社会保険がどうなるのか、そもそも考えたことがなかった
- 国民健康保険にすべきか、配偶者の扶養に入れるのか、判断材料がない
結論:無報酬決議はできるが、社会保険に入れなくなる
取締役の報酬等は、定款に定めがないときは株主総会の決議で定めるとされています(会社法361条1項)。この規定は報酬を「支給すること」を義務づけるものではなく、株主総会で無報酬とする決議をすることも可能です。 一人社長で株主も自分だけであれば、自分自身で「当面は無報酬とする」という決議をして議事録に残すことで、会社法上の手続きは完結します。
ただし、ここに見落としやすい問題があります。健康保険・厚生年金は「会社に使用され、労務の対価として報酬を受けている」ことを前提にした制度なので、報酬が完全にゼロだと、代表者自身がこれらの社会保険に加入できなくなります。 資金繰りのために無報酬を選んだ結果、代表者本人が国民健康保険・国民年金に切り替わり、保険料の負担や給付内容が変わるという副作用が生じます。
無報酬にできるかどうかと、社会保険に入れるかどうかは別の問題です。 会社法は無報酬決議を禁じていませんが、社会保険は報酬の有無で加入の可否が変わります。「無報酬にしても会社の社会保険にはそのまま入れる」という前提で決議すると、あとで想定外の手続きが発生します。
役員報酬を無報酬にすることは会社法上問題ないか
会社法361条1項は、取締役の報酬・賞与その他の職務執行の対価として会社から受ける財産上の利益について、定款に定めがなければ株主総会の決議で定めると規定しています。この条文は報酬額の上限や決め方についての規定であり、「必ず一定額を支給しなければならない」という趣旨ではありません。実務上も、設立直後で利益が出ていない会社が取締役を無報酬とする決議をすること自体は、税理士・司法書士事務所の実務解説記事でも珍しくないケースとして紹介されています。
一人社長の会社であれば、株主総会も自分一人で開催(実務上は書面決議や議事録の作成)し、「当面の間、取締役の報酬は無報酬とする」という決議を残しておけば、会社法上の手続きとしては足ります。将来、売上が安定してから報酬を支給する決議に切り替えることも、同じ手続きで可能です。
なお、役員報酬は税務上「定期同額給与」として損金算入するために設立から3か月以内に決定する必要があります。この期限を踏まえて、設立当初の1〜2か月だけを無報酬とし、3か月目以降から報酬支給を開始する、という進め方も税理士事務所の解説記事で紹介されています。
なぜ無報酬だと健康保険・厚生年金に入れないのか
健康保険・厚生年金保険は、適用事業所に使用される者を被保険者とする制度です(健康保険法3条、厚生年金保険法9条)。法人の代表者や役員も、法人から労務の対価として報酬を受けていれば「使用される者」にあたるとされ、原則として被保険者になります。
ここで問題になるのが、報酬が全く支給されない場合です。 労務の対価としての報酬が存在しないと、会社に「使用されている」実態を報酬の面から示せなくなるため、被保険者資格の取得が認められない扱いになります。標準報酬月額(社会保険料や将来の年金額の計算のベースになる金額)にも最低等級があり、健康保険は月額58,000円、厚生年金保険は月額88,000円がそれぞれ最低等級です(協会けんぽ・日本年金機構の標準報酬月額表・保険料額表、2026年9月確認)。報酬月額が0円では、この最低等級にあてはめる報酬の実態そのものがないことになります。
つまり、役員報酬をゼロにするということは、代表者自身が会社の健康保険・厚生年金から外れることとほぼセットになっている、と理解しておく必要があります。
無報酬の場合、代わりに何に加入することになるか
会社の健康保険・厚生年金に入れない場合、代表者自身の医療保険・年金は次のいずれかになります。
- 国民健康保険・国民年金に加入する:他に職域の健康保険に入っていなければ、市区町村が運営する国民健康保険に加入し(国民健康保険法5条)、年金は国民年金第1号被保険者として保険料を納めます(国民年金法7条)
- 配偶者の被扶養者・第3号被保険者になる:配偶者が会社員などで健康保険・厚生年金に加入している場合、収入要件を満たせば配偶者の被扶養者(健康保険)・第3号被保険者(国民年金)になれる可能性があります
どちらになるかは、配偶者の有無や、配偶者の勤務先の健康保険組合の認定基準によって変わるため、次の項目で扶養の要件を確認します。
配偶者の扶養に入れるか
健康保険の被扶養者として認定されるための一般的な収入基準は、年間収入130万円未満(60歳以上または一定の障害がある人は180万円未満)、かつ被保険者(配偶者)の年間収入の2分の1未満であることとされています(全国健康保険協会の被扶養者の認定基準)。役員報酬が無報酬であれば、この収入基準そのものは満たしやすい状況です。
ただし、法人の代表者・役員という立場そのものが、扶養認定の審査で問題になる場合があります。 複数の社会保険労務士事務所の解説記事では、代表取締役や常勤の取締役は、役員報酬が無報酬であっても「常勤性がある」「経営参画の度合いが高い」とみなされ、被扶養者として認定されない運用になりやすいと説明されています。非常勤で経営への関与が薄いと認められれば、扶養に入れる余地が残るとされます(この常勤・非常勤や経営参画度合いによる線引きは、協会けんぽ・健康保険組合が統一的な通達として公開しているものではなく、複数の社会保険労務士の解説記事に共通して見られる運用実態として整理したものです。2026年9月確認)。
したがって、「無報酬にすれば自動的に配偶者の扶養に入れる」と決めつけず、配偶者の勤務先(または健康保険組合)に、法人代表者であることを伝えたうえで事前に確認しておくことが必要です。
無報酬と最低限の報酬、何が変わるか
無報酬のままにするか、社会保険に加入できる程度の報酬を設定するかで、次の点が変わります。
| 項目 | 無報酬のまま | 最低限の報酬を設定(社会保険加入) |
|---|---|---|
| 会社の社会保険料負担 | 発生しない | 発生する(労使折半) |
| 代表者の医療保険 | 国民健康保険、または配偶者の扶養(要件次第) | 会社の健康保険(傷病手当金などの給付あり) |
| 代表者の年金 | 国民年金第1号(または第3号) | 厚生年金(将来の年金額に上乗せ) |
| 会社の人件費(損益計算書) | 増えない | 報酬額+社会保険料の会社負担分が増える |
| 株主総会での手続き | 無報酬決議 | 報酬額を定める決議 |
無報酬のままにすると当面の資金繰りは楽になりますが、厚生年金に加入していない期間は将来受け取る年金額に反映されません。逆に最低限でも報酬を設定して社会保険に加入すれば、会社側に社会保険料の負担(労使折半分)が発生します。どちらを選ぶかは、当面の資金繰りの余裕度と、将来の年金・傷病手当金などの給付をどこまで重視するかのバランスで決めることになります。
無報酬にする場合に見落としやすい注意点
無報酬決議をする際、見落とされがちな点を挙げます。
- 株主総会議事録は残す:一人社長であっても、無報酬とする決議の記録(議事録)は作成・保管しておく必要があります
- 住民税は前年の所得に対してかかる:役員報酬をゼロにしても、前職の給与所得に対する住民税の請求は、退職した年の翌年に別途届きます。会社の報酬とは別の請求として資金繰りに織り込んでおく必要があります
- 確定申告・年末調整の扱いが変わる:役員報酬がゼロの年は、会社からの給与所得自体が発生しないため、年末調整の対象になる給与がなくなります。他に所得があれば、その所得について確定申告が必要かどうかを個別に確認してください
無報酬にすると当面の会社の支出は減りますが、代表者個人の生活費や社会保険料・住民税の支払いが会社の外側で発生し続けます。 会社の資金繰りだけでなく、個人の家計側の支払いスケジュールもあわせて確認しておく必要があります。
調査した範囲について、正直に書きます
正直に書きます。私自身は2026年に前職を退職して起業準備を進めている当事者ですが、この記事を書いている時点ではまだ自分の会社を設立しておらず、役員報酬を無報酬にする決議や、それに伴う社会保険の切り替えを実際に経験したわけではありません。この記事は、会社法361条1項、健康保険法3条、厚生年金保険法9条、国民健康保険法5条、国民年金法7条という条文の規定と、社会保険の一般的な取り扱いに関する公開情報を2026年9月に確認して整理したものです。
一方で、退職に伴って収入が途切れる状況そのものは、私自身が2026年に経験しています。 前職を退職した翌年、前年の給与所得に対する住民税の納付書が、給与天引きではなく自宅に直接届きました。在職中は毎月の給与から自動的に差し引かれていたため意識していませんでしたが、収入が途切れたあとに前年分の税金の請求だけが独立して来る、という構造は、役員報酬を無報酬にする場合にも同じように起こり得ます。無報酬にする決断は、目の前の会社の支出だけでなく、少し遅れてやってくる個人側の請求も含めて考えておく必要がある、というのは実感としてあります。
法人代表者が配偶者の扶養に入れるかどうかの具体的な審査基準は、協会けんぽ・健康保険組合が統一的な通達として公開しているものではなく、複数の社会保険労務士の解説記事に見られる運用実態(常勤性・経営参画の度合いによる判断)として整理しました。個別のケースについては、加入予定の健康保険組合または全国健康保険協会の該当支部に直接確認することをおすすめします。
計算例:役員報酬を月88,000円にした場合、社会保険料はいくらか
無報酬ではなく、厚生年金保険の最低等級である月88,000円を役員報酬に設定した場合、実際にいくらの社会保険料になるかを計算します。
| 項目 | 全額 | 会社負担 | 本人負担(給与から控除) |
|---|---|---|---|
| 健康保険料 | 8,668円 | 4,334円 | 4,334円 |
| 厚生年金保険料 | 16,104円 | 8,052円 | 8,052円 |
| 合計(月額) | 24,772円 | 12,386円 | 12,386円 |
前提:東京都・40歳未満(介護保険第2号被保険者に該当しない)・標準報酬月額88,000円(健康保険は第4等級、厚生年金は第1等級)。令和8年度(2026年度)の協会けんぽ東京支部の保険料額表による(出どころは記事末尾の出典欄)。40歳以上64歳以下だと介護保険料が上乗せされ本人負担が増える。東京都以外は健康保険料率が異なるため、自分の都道府県の保険料額表で確認してください。
無報酬にすれば、この本人負担4,334円+8,052円=12,386円/月は発生しませんが、その代わりに国民健康保険・国民年金の保険料が別途かかります(前項の内容と同じです)。国民健康保険料は世帯の前年所得によって変わるため、無報酬と最低限の報酬のどちらが個人の総負担として安いかは、一律には決まりません。
次にやること
役員報酬を無報酬にする決議をする前に、まず配偶者の勤務先の健康保険組合(または全国健康保険協会の支部)に、法人代表者・役員が無報酬の場合に被扶養者として認定されるかどうかを問い合わせてください。認定されない、または配偶者がいない場合は、国民健康保険・国民年金への切り替え手続きが必要になることを前提に、当面の保険料負担と、退職翌年に届く住民税の請求分を資金繰りに織り込んでおいてください。
出典(2026年9月9日調査)
- 会社法361条1項(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086 (取締役の報酬等は定款に定めがなければ株主総会の決議で定めるとする条文を確認)
- 健康保険法3条・厚生年金保険法9条(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/law/211AC0000000070 / https://laws.e-gov.go.jp/law/329AC0000000115 (適用事業所に使用される者を被保険者とする条文を確認)
- 令和8年度保険料額表(協会けんぽ東京支部) https://www.kyoukaikenpo.or.jp/assets/R8_13tokyo.pdf (健康保険の最低等級58,000円・厚生年金の最低等級88,000円と、計算例で使った標準報酬月額88,000円の保険料額を確認。本文の数字と一致していたため変更なし)
- 被扶養者になれる人の範囲(全国健康保険協会) https://www.kyoukaikenpo.or.jp/~/media/Files/honbu/cat590/hihuchousaura2410.pdf (被扶養者の年間収入基準が130万円未満・60歳以上または一定の障害がある人は180万円未満・被保険者の年間収入の2分の1未満であることを確認。本文の数字と一致していたため変更なし)
- 国民健康保険法5条・国民年金法7条(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/law/333AC0000000192 / https://laws.e-gov.go.jp/law/334AC0000000141 (国民健康保険への加入、国民年金第1号被保険者としての加入を定める条文を確認)