就業不能保険は一人社長に要るか
この記事の内容
一人で会社を立ち上げた社長。病気やケガで働けなくなったとき、会社員時代にあった保障のうちどれが残り、どれが消えるかを知っているだろうか。答えを先に言うと、「業務外の病気」は条件付きで残るが、「業務中のケガ」は多くの一人社長で丸ごと消える。この記事では、消える部分を民間の就業不能保険で埋める必要があるかを判断する材料を出す。
会社員時代にあった2つの保障は何だったか
会社員には、働けなくなったときの収入減を防ぐ制度が2つあった。
- 業務外の病気・ケガ:健康保険の傷病手当金(健康保険法99条1項・2項・4項)。連続3日を含め4日以上休んだ場合に、通算1年6ヶ月まで、標準報酬日額の2/3が支給される(2022年1月1日施行の改正で、支給期間が「支給開始日から起算して1年6ヶ月を超えない期間」から「支給開始日から通算して1年6ヶ月」に変わった。全国健康保険協会「健康保険法等の一部改正に伴う各種制度(傷病手当金、任意継続、出産育児一時金)の見直しについて(令和4年1月から)」・2026年9月14日確認)
- 業務中の病気・ケガ:労災保険の休業補償給付など。支給に期間の上限は無く、治癒(症状固定)するまで給付が続く(労働者災害補償保険法14条・2026年9月14日確認)
健康保険法1条は、業務災害「以外」の疾病・負傷を保険給付の対象にすると定めている。つまり健康保険と労災保険は、業務内か業務外かで役割が分かれている。会社員はこの2つに自動的にカバーされていた。
業務外の病気・ケガ|一人社長でも傷病手当金は残るか
法人を作って自分に役員報酬を払い、協会けんぽや健康保険組合に加入していれば、社長であっても傷病手当金の制度そのものからは外れない。支給要件は次の3つだ(複数の社会保険労務士事務所・税理士事務所の解説を照合・2026年9月14日確認)。
- 病気やケガで働けないこと(医師の証明が必要)
- 連続3日を含めて4日以上休んでいること
- 休んだ期間、役員報酬の支払いを受けていないこと
ここで一人社長がぶつかる壁は3番目だ。役員報酬を止めるには株主総会での決議と議事録が要る(職務内容の重大な変更に該当する「臨時改定事由」に当たるため、傷病による減額・ゼロ化と、回復後の元の額への復帰は、いずれも定期同額給与の例外として損金算入できる。国税庁の役員給与に関する取扱い・2026年9月14日確認)。この手続きを取らず役員報酬を出し続け、結果として傷病手当金を受け取らない会社が多いと、複数の社会保険労務士事務所・税理士事務所の解説が一致して指摘している(この傾向についての公的な統計は見当たらない。2026年9月14日確認)。制度の対象ではあるが、実際に受け取るには自分で報酬を止めるという能動的な手続きが要る、という点が会社員との違いだ。
業務中の病気・ケガ|一人社長に空く「労災の穴」
労災保険は「労働者」を対象にした制度で、代表権を持つ社長は労働基準法9条の労働者に当たらず原則対象外になる。唯一の例外が特別加入制度だが、中小事業主等(第1種)の特別加入は「雇用する労働者について保険関係が成立していること」が要件のため、従業員ゼロの一人社長は加入できない。一人親方等(第2種)の特別加入は建設業の一人親方や個人タクシー業者など特定の業種に限られ、業種が当てはまらなければこちらにも加入できない(厚生労働省「特別加入制度のしおり」・2026年9月14日確認。別記事「労災保険の特別加入」で扱った通り)。
つまり、業務中に事故に遭っても、労災の特別加入をしていない一人社長には労災保険からの給付が出ない。しかも健康保険は業務外に限定される制度なので(健康保険法1条)、業務中のケガに対しては健康保険からも傷病手当金が出ない。会社員時代は当たり前にあった「業務中の保障」が、一人社長になると条件によっては完全にゼロになる。ここが会社員時代との一番大きな差だ。
個人事業主のまま起業した場合はどうなるか
まだ法人化せず個人事業主として活動している場合は、話がさらにシンプルになる。個人事業主が入る国民健康保険には、傷病手当金の規定自体はある(国民健康保険法58条2項:市町村・国保組合が条例・規約により給付を行うことができるとする任意給付規定)が、実施している自治体は通常存在しない(新型コロナウイルス対応の特例給付は別枠で、感染症法上の位置づけが5類に移行したことに伴い2023年5月7日に終了している。各自治体の案内・2026年9月14日確認)。個人事業主は、業務外・業務中を問わず、働けなくなったときの公的な収入保障がほぼ無い状態になる。
会社員・一人社長・個人事業主で保障はどう変わるか
| 立場 | 業務外の病気・ケガ | 業務中の病気・ケガ |
|---|---|---|
| 会社員(雇用されている) | 傷病手当金(通算1年6ヶ月、標準報酬日額の約2/3) | 労災保険(治るまで) |
| 一人社長(法人・社会保険加入) | 傷病手当金の対象になりうる(役員報酬を止める手続きが必要) | 労災の特別加入ができなければ保障なし |
| 個人事業主(国民健康保険) | 傷病手当金なし(任意給付・実施自治体は通常なし) | 労災の特別加入ができなければ保障なし |
会社員時代に当たり前だった保障のうち、確実に残るものは無い。一人社長は「手続きすれば一部残る」、個人事業主は「ほぼ残らない」という整理になる。
就業不能保険は何を埋める保険か
就業不能保険は、病気やケガで働けない状態が一定期間続いたときに、毎月定額の給付金を受け取れる民間保険だ。公的保障の抜けている部分を埋める位置づけになる。一般的な設計は次の通り(生命保険文化センターほか複数社の商品解説を照合・2026年9月14日確認)。
- 就業不能になってから60日・180日など「支払対象外期間」があり、その間に回復すれば給付は出ない
- 精神疾患を保障対象に含む商品と含まない商品がある。含む商品でも、支払対象外期間を越えて長引いた場合に限られることが多い
- 業務中・業務外を問わず、就業不能という「状態」に対して給付される商品が多い(この点は公的な労災・健康保険の切り分けと違う)
保険料や給付額は商品・年齢・保険期間によって差が大きい。たとえばライフネット生命の場合、支払対象外期間180日・65歳満了・就業不能給付金月額10万円のプランで、30歳男性の月額保険料は1,807円、30歳女性は1,576円だが、給付金額を月額25万円に上げると30歳男性で4,063円まで上がる(ライフネット生命公式サイト・2026年6月1日時点の料率、2026年9月14日確認)。この記事では特定の年齢・条件を前提にした具体額は出さない。検討する場合は、次の文例で複数社に資料請求し、比較してから決める。
計算例:傷病手当金だけで固定費はまかなえるか
条件を1つ仮置きして、実際の金額まで出す。
- 役員報酬から算出した標準報酬月額:30万円
- 標準報酬日額 = 30万円 ÷ 30日 = 1万円
- 傷病手当金の日額 = 1万円 × 2/3 ≈ 6,667円
- 3ヶ月(90日)働けなかった場合の合計 = 6,667円 × 90日 = 600,030円
一方で、この間も会社の固定費(家賃・通信費・外注費など)と自分の生活費は止まらない。仮に月の固定費と生活費の合計を35万円とすると、3ヶ月で105万円かかる。傷病手当金の60万円だけでは45万円足りない計算になる。さらに、業務中のケガで労災の特別加入をしていなければ、この60万円すら出ない。自分の標準報酬月額と月々の固定費・生活費を当てはめれば、不足額が具体的に見える。
文例:就業不能保険の資料請求で確認すること
保険会社や代理店に資料を請求するときは、比較の軸をそろえるために次の質問を添える。
件名:就業不能保険についての資料請求(法人代表者向け)
○○保険株式会社 ご担当者様
はじめまして。一人で法人を経営している者です。
自分自身の就業不能時の備えとして、貴社の商品を検討しております。
つきましては、下記についてご教示いただけますでしょうか。
1. 支払対象外期間(免責期間)は何日か
2. 精神疾患による就業不能は保障対象に含まれるか
3. 個人契約と法人契約で、給付金の税務上の扱いにどのような違いがあるか
4. 保険期間中に解約した場合、解約返戻金はあるか
5. 業務中・業務外を問わず給付対象になるか
お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
チェックリスト:自分に就業不能保険が要るか確かめる
- □ 法人の社会保険(協会けんぽ・健康保険組合)に加入し、役員報酬から保険料を払っている
- □ 傷病手当金を受けるには役員報酬を止める必要があることを理解した
- □ 自分の業種が労災保険の特別加入(一人親方等)の対象に当てはまるか確認した
- □ 働けない期間が3ヶ月続いた場合の固定費・生活費の合計を計算した
- □ 上の合計から、傷病手当金(該当する場合)を差し引いた不足額を出した
- □ 不足額を貯蓄でまかなえない場合、就業不能保険の資料を1社分は取り寄せた
次にやること
自分の標準報酬月額(または想定する役員報酬額)と、月々の固定費・生活費を上の計算例に当てはめ、働けなくなったときの不足額を出す。不足額が貯蓄でまかなえる範囲か、まかなえないなら上の文例で就業不能保険の資料を請求するところから始める。