出産・育児と役員報酬
この記事の内容
自分ひとりで会社を回している社長が、出産や育児で仕事を休むとき、お金はどうなるのか。この記事は、そんな一人社長(法人・社会保険加入)に向けて、使える制度と使えない制度を分け、役員報酬をどう扱うかを整理する。最後に、出産手当金を使う場合と報酬を維持する場合の金額を、仮の数字で比べる。
結論:会社員と同じ産休・育休はない。ただし「代わり」になるお金はある
一人社長には、会社員の産休・育休をそのまま当てはめることができない。理由は、役員が「労働者」ではないからだ。育児・介護休業法は労働者を対象にしており、日本年金機構のよくある質問も「労働者ではない役員は、この法律に基づく育児休業等は取得できない」としている。雇用保険の育児休業給付も、雇用保険の被保険者が対象になる(雇用保険法61条の7)。法人の代表取締役は、原則として雇用保険の被保険者にならない(厚生労働省・ハローワークの案内。一人社長の場合)。
一方で、健康保険と厚生年金に入っていれば、次の3つは使える可能性がある。
| 制度 | 一人社長で使えるか | 根拠 |
|---|---|---|
| 出産育児一時金(原則50万円。産科医療補償制度に加入する医療機関で在胎22週以降に出産した場合。それ以外は48.8万円) | 使える | 健康保険法101条、同施行令36条(2023年4月から。厚生労働省) |
| 出産手当金 | 使えるが、役員報酬を受けていると減る・止まる | 健康保険法102条・108条2項 |
| 産前産後休業中の社会保険料の免除 | 使える(役員も対象。給与の有無は問わない) | 健康保険法159条の3、厚生年金保険法81条の2の2、日本年金機構 |
| 育児休業中の社会保険料の免除 | 役員は対象外 | 健康保険法159条、日本年金機構「よくある質問」 |
| 育児休業給付金 | 原則対象外 | 雇用保険法61条の7 |
| 育児休業そのものの権利 | 法律上の権利としては対象外 | 育児・介護休業法 |
つまり、「休んでも会社が回る仕組み」は制度が作ってくれないが、「産前産後のあいだの生活費と保険料の負担を軽くする道」は残っている。育児休業の期間については、この道が使えない。
「自分が休んだら会社が止まる」と怖くなるのは、当たり前のこと
会社員なら、休んでいる間は誰かが穴を埋める。一人社長には埋める人がいない。売上が止まる不安と、子どもを迎える不安が、同じ時期に一度に来る。
ここで「もっと早く準備しておくべきだった」と自分を責める必要はない。役員向けの制度は会社員向けに比べて情報が少なく、調べる手間そのものが重い。迷うのは、あなたの準備不足ではなく、制度の説明が分散しているせいだ。
そのうえで、決めなければならないことは実は多くない。次の3つだけを順番に決めればよい。
- 休む期間中、役員報酬を払い続けるか、下げるか、止めるか
- 休む期間中、売上を「ゼロにする」か「最小限だけ残す」か
- 社会保険の資格を、休んでいる間も維持するか
以下は、この3つを決めるための材料である。
出産手当金は、役員報酬を受けていると減る
出産手当金は、産前42日(多胎は98日)から産後56日までの間、仕事を休んで報酬が受けられないときに、健康保険から出るお金である(健康保険法102条。協会けんぽの案内では、予定日より出産が遅れた場合の期間も対象)。1日あたりの額は、支給開始日以前12か月間の標準報酬月額の平均額の30分の1に、3分の2を掛けた額である(協会けんぽの案内。加入が12か月に満たない場合は計算が変わる)。
ここで一人社長がつまずくのが、報酬との調整である。休んでいる期間に会社から報酬が出ていると、その期間は出産手当金が出ない。ただし、報酬の額が出産手当金より少ないときは、差額が出る(健康保険法108条2項。協会けんぽの案内でも、給与の日額が手当金の日額より少なければ差額を支給するとしている)。会社員なら「会社が給与を止める」で済むが、一人社長は「給与を止めるかどうか」を自分で決める立場にある。
また、役員が「本当に仕事を休んでいるのか」は、健康保険の窓口が個別に見る部分である。メール対応や契約の確認をどこまでやると「休んでいない」扱いになるかは、協会けんぽの出産手当金の案内ページには書かれていない(2026年9月確認)。【各自確認:自分が休業期間中に行うメール対応や契約確認などの業務が、休業とみなされる範囲に収まるか。加入している協会けんぽ等の窓口に、自分の業務内容を伝えて確認】
なお、国民健康保険(個人事業主など)では、出産手当金は法律で決まった給付ではなく、市町村が条例で定めた場合にだけ出る(国民健康保険法58条2項)。全国の実施状況を示す公的な一覧は見当たらない(2026年9月確認)。お住まいの市区町村に聞くことになる。社会保険(協会けんぽなど)に入っている一人社長は、法律に書かれた給付として出産手当金を使える。
役員報酬を下げれば手当金がもらえる、とは簡単に言えない
出産手当金を受け取るために、休業中の役員報酬をゼロや低額にしたい、と考える人は多い。ここに税金のルールがぶつかる。
役員報酬は、原則として「毎月同じ額」を払っていないと、経費(損金)にならない部分が出る。これを定期同額給与という(法人税法34条1項1号)。期中に金額を変えても認められる場合は限られていて、代表的なものは次の3つだ(法人税法施行令69条1項1号。国税庁タックスアンサーNo.5211)。
| 認められる改定 | 中身 |
|---|---|
| 会計期間の開始から3か月以内の改定 | 会計期間の開始の日から3か月を経過する日までにする改定(通常は定時株主総会で決める) |
| 臨時改定事由 | 役員の職制上の地位の変更、職務の内容の重大な変更など、これらに類するやむを得ない事情による改定 |
| 業績悪化改定事由 | 経営状況が著しく悪化したことなどによる改定(減額に限る) |
出産や育児による休業がこの「臨時改定事由」に当たるかどうかについて、国税庁のタックスアンサー(No.5211)には産休・育休の記載がない。税理士事務所や税務の専門誌の解説には、役員が産休で職務を執行できなくなる場合は臨時改定事由に当たるとするものがあるが、国税庁の公式資料では確認できていない。【各自確認:産休・育休による期中の役員報酬の減額が、自社の場合に「臨時改定事由」として認められるか。顧問税理士か所轄の税務署に、自社の役員の職務変更の実情を伝えて確認】
認められない場合、その年度に払った役員報酬の一部が経費にならず、法人税が増えることがある【各自確認:期中の減額が認められなかった場合に自社でどれだけ法人税が増えるかは、顧問税理士に試算を依頼する】。出産手当金でもらえる額より、税金の増えるほうが大きくなる可能性もある。だから「手当金のために報酬を下げる」は、税理士に聞く前に決めないほうがよい。
さらに、役員報酬をゼロにすると、社会保険の被保険者資格そのものに影響が出るおそれがある。報酬がない役員は保険の対象と見なされないことがあり、その場合は休業中の免除や出産手当金の前提が崩れる。【各自確認:自社で役員報酬をゼロにした場合に被保険者資格がどう扱われるか。管轄の年金事務所に、自社の状況を伝えて確認】
計算例:報酬を維持する場合と、出産手当金を受ける場合はどちらが手元に残るか
次の前提を仮に置いて、金額を出してみる。数字は説明用の仮置きであり、あなたの状況に置き換えて使ってほしい。
前提
- 一人社長。協会けんぽ加入。標準報酬月額は直近12か月とも30万円
- 出産予定日どおり、2026年10月20日に出産
- 産前42日+産後56日=98日間(出産日は産前に含む)が休業期間
- 休業期間は2026年9月9日〜12月15日(約3か月)
- 社会保険は資格が続いており、産前産後休業の保険料免除の対象になる(役員も対象。日本年金機構)
- 保険料率は2026年度(令和8年度)の東京の協会けんぽ(協会けんぽの公式ページ)。健康保険料率9.85%(介護保険の対象外の年齢)、厚生年金保険料率18.3%(2017年9月分から固定)
- 令和8年4月分から加わった子ども・子育て支援金(0.23%)は、産前産後休業中の免除に含まれるかを、こども家庭庁のQ&Aで確認できなかった(同Q&Aには育児休業中の免除だけが書かれている。2026年9月確認)。そのため免除額の計算には入れていない
出産手当金を受ける場合(役員報酬は休業期間中ゼロ)
| 項目 | 計算 | 金額 |
|---|---|---|
| 1日あたりの額 | 30万円 ÷ 30 × 2/3 | 6,667円 |
| 98日分 | 6,667円 × 98日 | 653,366円 |
役員報酬を維持する場合(月30万円を休業期間中も払う)
| 項目 | 計算 | 金額 |
|---|---|---|
| 3か月分の役員報酬 | 30万円 × 3か月 | 900,000円 |
| 出産手当金 | 報酬が手当金日額を上回るため(健康保険法108条2項) | 出ない |
共通:社会保険料の免除(9月・10月・11月の3か月分)
| 項目 | 計算 | 金額 |
|---|---|---|
| 月の保険料(会社分+本人分) | 30万円 × (9.85%+18.3%) | 84,450円 |
| 3か月分 | 84,450円 × 3か月 | 253,350円 |
免除される月は、休業を始めた月(9月)から、休業が終わった日の翌日(12月16日)が属する月の前月(11月)まで、という決まりで数える(日本年金機構)。
この仮定では、報酬を維持したほうが手元に残る額は約24.7万円多い(900,000円 − 653,366円)。ただし、これは会社から出ていくお金が同じだけ増えることを意味する。会社の預金が3か月分の報酬に耐えられるか、売上が止まったときに固定費を払えるか、この2点で決まる。
もう一つ、社会保険料の免除は、報酬を維持した場合でも受けられる。日本年金機構は、産前産後休業中の保険料免除について、休業中の給与が有給か無給かは問わないとしている。対象になるのは、妊娠または出産を理由として労務に従事しなかった期間である。休業中に通常どおり働いていれば、対象になるかは窓口の判断になる(どこまでの業務が休業と扱われるかは、上の出産手当金の項で挙げた確認事項と同じ)。免除額(約25.3万円)は、選んだ道に関わらず動くお金なので、窓口の確認が先である。
育児休業は「取る」より「仕事の量をどこまで残すか」を決める
出産後も育児のために休みたい場合、会社員のような育児休業給付金は一人社長には出ない。育児休業中の社会保険料の免除も、労働者ではない役員は申し出ができない(日本年金機構のよくある質問)。産前産後休業の免除(産後56日まで)は使えるが、その後の育児休業の期間は免除がなく、社会保険料は払い続けることになる。
だから、育児期間の考え方は「給付を待つ」より「仕事の量を段階的に決める」ほうが現実に合う。
- 完全に休む期間を、最初の1〜2か月に限る
- 復帰後は、売上の柱になる1つの仕事だけを残す
- 外注や業務委託で、自分の作業を分ける(事業に必要な外注費は経費=損金にできる。法人税法22条3項)
一人社長にとっての「代わり」は、制度ではなく、他の人や仕組みに仕事を預ける形になりやすい。
休んでもかかり続けるお金がある
会社を休んでも、次のお金は止まらない。産休に入る前に、月にいくら出ていくかを書き出しておく。
- 社会保険料(免除の対象にならない期間の分。育児休業の期間は役員は免除されない)
- 税理士の顧問料
- 家賃、ソフトウェアの月額料金
- 法人住民税の均等割(赤字でもかかる。東京23区内で、資本金等1,000万円以下・従業者50人以下の会社は年7万円。東京都主税局。23区は都が課税する:地方税法734条。他の地域は自治体ごとに額が異なる:地方税法52条・312条)(23区以外の額は、所在地の自治体の税務担当窓口で確認する。全国共通の額はない。2026年9月確認)
チェックリスト:産休・育休に入る前に確かめること
□ 自分が加入している健康保険は協会けんぽか、国保か(国保の出産手当金は市町村の条例次第) □ 直近12か月の標準報酬月額を、給与明細か通知書で確認した □ 休業期間中の役員報酬をどうするか、税理士に「期中の減額が認められるか」を聞いた □ 役員報酬をゼロにした場合の社会保険の資格を、年金事務所に確認した □ 休業期間中の毎月の固定費を書き出し、報酬を払い続けられる月数を出した □ 出産手当金と保険料免除の手続きの窓口(協会けんぽ・年金事務所)を調べた □ 休業中の連絡先と、取引先への案内の文面を用意した
次にやること
まず、自分の標準報酬月額と、会社の預金で何か月耐えられるかを1枚のメモに書く。それをもって、税理士に「産休期間中の役員報酬を、期中に変えられるか」を1問だけ聞く。答えが分かってから、出産手当金を使うか、報酬を維持するかを決めればよい。